2020年10月25日
早いもので今年も牡蠣フライの季節となりました。
春から夏へそして、秋
今年はタイヘンな年でした。(これからも大変そうですが)
疲れたお身体の疲労回復に
美味しい牡蠣の入荷が始まりました。
今年も牡鹿半島産大粒をオーダーです。
牡蠣フライのセットで2000円
牡蠣フライ単品で1600円
1個で!のご要望にお応えして600円で
ご用意致します。
尚、
現在のお取り寄せお肉は
常陸の輝きをご用意しております。
2020年10月15日
にぎやかな家
母が退院して2日が過ぎました。
リビングに介護ベッドを置いて、
いつでも声をかけられる様にしております。
朝起きて様子を見に行きますと、
目を開けていて手を触ると
少し暖かいから
「暑い?喉乾いた?」と聞きますと
頷いた感じなので
冷凍庫からアイスクリームを・・・
口を開けてくれました。
初めて私の手から感動です!

現在、我が家には
0歳、101歳・・・その他(笑)
最初と最後・・・
時々、
孫に哺乳瓶からミルクを与えておりますと、
こんな風に育ててくれたんだとの思いに
胸が苦しくなります。
ですから、
母の手を握った時は
必ず「ありがとう」て声をかけます。
家族全員が母を迎えてくれて、
馬酔木は恵介君が頑張ってくれているおかげで
母との最期の時間を楽しめております。
皆に
「ありがとう」 感謝です。

2020年10月10日
北穂高岳へ
5日の早朝
横浜線鴨居駅に徒歩で向かう。
通勤時間帯の電車に大きなリュックを背負って乗るのは
仕事に行かれる皆様には迷惑がかかると
ガイドの青山さん宅に道具一式を宅急便しました。
ので
軽装でルンルン気分(古!)
ですが、ホームに停まっている車両が見えてフリーズ状態に!
「電車・・・止まってる!」なんとドアが解放状態
先の区間で人身事故が起きた模様
「運転再開は・・・時頃を予定しております」
って
その時間だと八王子で
あずさ3号に乗り接ぎ出来ない可能性が大、、、汗
やっと動き出すも3号は無理
5号だな・・・でもギリギリ
車内放送で「あずさ5号はこの車両の到着を待って出発します」
ホッと一息
あと少しで八王子駅だ〜
エッ・・・また停まった
「お急ぎのところ申し訳ありません。八王子駅ホームに
急病の方を手当てしております。しばらくお待ちください」
涙、、、、
(でも、長時間電車が動くの待ってたら気分も悪くなるよね)
何とか動いて駅に着き、
ダッシュであずさへ
指定席は3号のですから、5号で座れる場所を探すも二席横並びは無し!
疲れていたのとコロナ感染も怖いですからグリーン車へ
松本駅で青山さんと再会
今年1月の八ヶ岳以来です。
本来ならば5月に残雪の北穂高に行く予定でしたが
残念ながらコロナでキャンセルとなっております。
今日は曇り時々雨の予想ですが、明日、明後日は晴れマーク
期待が膨らみます。
わたくしが上高地をよく訪れていたのは大昔!
夜中に20号線(中央高速は完成していない)を飛ばして
明け方
河童橋の前に着くのがいつものパターン
信じられます?
自家用車で行けたんです!あそこまで。
釜トンネル新しくなってる!
(旧釜トンネルは天井部分から滝のような水が流れ落ちていた)
その日は横尾山荘まで3時間歩いて足慣らし
お風呂もあるので体調を整えて早寝です。
火曜日は5時半に紅葉の涸沢に向け出発
お天気もよさそうです
紅葉〜!良い感じです。
涸沢ヒュッテで早めの昼食でこれからに備えてパワー充填!
(牛丼でね)
青山さんによると、中央の大岩の下は空洞になっており昔は人が住んでいたとか・・・(仙人?)
涸沢から1時間20分登った場所にある鎖場から梯子です
あと少し!あと少し!ってまだ?
ついに登頂 はいポーズ!
二人が元気だから出会えた景色
苦労して登っても出会えない場合があるのが自然相手
今日に感謝
一息入れてから北穂高小屋へ
リュックを下して
デッキでコーヒータイム(至福の時間)
余談ですが、飲食の仕事をしていると同業者目線で
見ることが多いです。
こちらの小屋はすごい!
コーヒーそして食事も美味しい!
布団もよく乾燥していてフワフワです。
トイレなども女性スタッフの気遣いなのか気持ちが良い
帰る日の早朝
ペットボトルにお茶を頼むと
「緑茶にしますか?それともほうじ茶がよろしいですか?」
標高3000mでそんなこと聞くなんて・・・
完全に脱帽です。
コロナで宿泊客数を制限して完全予約での営業は
ご苦労も多いことでしょう。
「ネットには完全予約って書いてあるけどフリーでの宿泊希望者は無いですか」
とお聞きしたところ何人か来られますとの事
馬酔木と違って満室だからと帰すわけにもいきませんから困りものです。
夕暮れ、早朝の写真です。
どこから帰って来ても、富士山が見えるとホッとするわたくし。
2020年10月09日
迷いと決断
10月からわたくしはお休みを頂いております。
7月中旬に義父の葬儀を終えて(ホール主任は残して)帰宅
お風呂でも・・・と思った時、携帯に着信です。
画面を見ると母がリハビリをしている老健からでした。
「食事もとらなくなり衰弱がみられるので、もしもの事を考えて
看取りの出来る病院に転院を」との事でした。
今度は・・・母か・・・
よく考えますと義父より一回り上の100歳ですから
本来なら母の方が先!な訳です。
疲れもあり立ちくらみが起きる状態。
実は我が家では長男に男子誕生が迫り
カウントダウン状態なんです。
出産が先か?
母の旅立ちが先か?
最期は自宅でと考えて関係者に相談したのですが
コロナの状況下で、直ぐにネットワークを作れないとの事で
看取りをして下さる病院を探し、7月末に転院の運びとなりました。
転院時の付き添いでは声をかけても反応はなく
(もう無理、最後だな
このまま静かに・・・)と思いながら
ドクターとの面談で
水分不足で朦朧としている、
点滴量を増やすと状況が改善される余地あり
との事
積極的な医療行為は要らないとは
言ったものの・・・心が揺れます。
<100まで頑張ったんだからもう良いよね?>
<もう少し頑張ればひ孫の顔見れるんだけど・・・>
妻には相談は致しましたが、決めるのはわたくしの仕事
次回の面談での決断は
水分と栄養補給をお願い致しました。
血管の細い母への点滴は厳しいようなので
中心静脈カテーテル留置を進められ
痛み軽減になればと承諾致しました。
そして8月
男子無事出産で
ジジとババが一組誕生〜!
「じいちゃん、ばあちゃんは嫌だな」
「お兄さん呼ばそう〜」「イギリス風にナナが良い」とか
年寄りはお気楽です。
運よく馬酔木の改装工事中でしたので
長男は積極的に子育てに参加
睡眠時間の少ないお母さんの代わりに
夜中もミルクを作ったり飲ませたり、
(馬酔木で疲れているだろうに)今も頑張っています。
八月中旬に母に面会に行きますと、
顔色は良くなり、少し目をあける様になりました。
「9月は誕生日ですよね〜お誕生会します」と
看護師さんから企画を聞いた時
(私たちの思いで作りだな)っと感じていたんですが
いざその日を迎えて
花束、母が食べられそうなケーキを栄養士さんが
作って下さり、メッセージボードには沢山のお祝いの言葉
コロナで参加できない孫たちはネットで参加
驚いた事に母は誕生日を理解して涙ぐんでる。
感動です!
元気会横浜病院はわたくしの祖父が逝ったところ
深夜の電話で呼び出され暗い病室に行った思い出
車で近くを通る度に思い出す記憶
それがこれからは
「母の101歳の誕生日を祝ってくださった病院」と変わりました。
ですが、残念な事にコロナで面会はほとんど叶いません。
そこで、家族への提案は
「自宅に戻して看護しよう」と言うこと
家族全員の賛成が無ければかなわない大きな問題
赤ちゃんがいる?お店は?ほんとに出来る?
みんな賛成してくれました。
「ひ孫を抱いてもらわないと」
「婆ちゃん家帰りたがったからね」
そんな決断をドクターに伝えますと
快く話を聞いてくださいまして
「長く生きるのではなく、
どう生きるかが大切です。
できる限りの協力を致します」とこと
それからは介護に必要な作業の手順を教えて下さり
本当に助かりました。
いよいよ
10月の中旬に帰宅です。
赤ちゃんのおむつ替えを楽しんで行う長男を見て
「君はうまいから婆ちゃんも任せる!」と笑う家族
ドクターいわく
「点滴を抜いた状態で帰宅して
口から水分を十分に補給できなければ
ダイタイ2週間が目安です。」
覚悟はしているんですけど
専門家に言われると決断が正しいのか揺らぎます。
いくつになっても母ですし、子供なんですね。
リビングに介護ベッドを置く予定です。
庭を見て、
みんなの笑い声を聞いて、
大泣きする赤ちゃんの声
心配して近寄るニコル君
そんな中で
逝ければ本人も満足でしょう。
この地で生まれ、育ち、結婚、子育て、老後、
最期の水は井戸の水を飲んでもらおう。
葬儀もここから
父が旅立つ時、最後のお話をして下さった
木下全雄さんに
母の状態を伝えますと
「須藤さん、お母さまに慈悲の心を確実に育ててもらって下さい」
と教えられた事を最後まで頑張るのがわたくしの仕事
ひ孫のお食い初めがもうすぐそこ
「形だけでも婆ちゃんに!」とは長男の希望
母の最期の仕事はどうもお祝いらしい。
母が退院して自宅に戻りますと
あまり出かけられなくので今のうちに羽を伸ばそうと・・・
北穂高岳にGO!
その辺は明日に